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The Monument for The Bright Future TOKYO/2021

2021
Signboard, tube pipe, “Young Clock Tower” by Taro Okamoto, Sukiyabashi-Park, Tokyo

Description
The Tokyo 2020 Olympic Games is now scheduled to be held next summer, which will envelop our society in a peaceful atmosphere. However, while proclaiming recovery, the memories of 3.11 are being forgetten at a rapid rate. Every time news of the Olympics is shown, there is an unavoidable discomfort in realizing that the past is being left behind. Moreover, instead of forever dragging the past along negatively, can we not try to wipe away the feeling of discomfort we get from it?
I thought that the above concept could be expressed by using Taro Okamoto’s “polarism”*. By incorporating the words “Bright Future”, which brought on a negative nuance while meaning to be positive, the project will attempt at recapturing the original meaning of these words.
December 31, 2019

On March 24, 2020, the Tokyo Olympic Games 2020 were postponed due to a global outbreak of COVID-19. Since my statement above was originally included in the schedule for implementing this project to coincide with the Olympic Games, I felt it necessary to adjust to the current situation. The situation is still changing daily, and the existing social system is just as dysfunctional as it was 9 years ago. Consequently, this project could no longer manifest the concept of celebrating the Tokyo Olympics 2020. There isn’t much I can do for the real world. However, for the sake of a “bright future” that includes the Olympic Games, which are scheduled to be held next summer, I would like to realize this project as it’s planned.
April 9, 2020

*An artistic view that opposes and contradicts concepts without compromise, resulting in a ferocious cacophony.

 

これはオリンピックの開催期間中限定で出現する、オリンピックを祝祭するための記念塔である。

2012年に、その前年に発生した東日本大震災とそれに起因する福島第一原子力発電所事故をテーマに据えた作品を制作した。その際注目したのは原子力発電所の立地する福島県双葉町に掲げられていた「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語だった。当時、私はこの標語をインターネットのニュースサイトで見かけた。当時横浜に在住していた私は、このニュースの存在が福島と関東の微妙な距離感と私を取巻く関東圏の空気感を捉えているように感じた。
その後私は集合的記憶としての311後の日本をテーマに、「明るい未来のためのプロジェクト」と題したアートプロジェクトを始めた。

私の友人の数人は、来年のオリンピックを楽しめそうにないと言う(勿論楽しみにしている人もいる)。復興オリンピックを謳いながら、巨額の開催費や311後の原発問題などの暗いニュースから目を逸らすようなイベントには賛成しかねるとのこと。私も彼らの言い分に賛同できるところはある。福島の様々な問題は、我々の生きている間には解決しそうにない。2019年末現在、オリンピック関連のニュースに触れる度にそれらを置き去りにしたような違和感を拭いきれない。友人達は期間中、東京を離れる、テレビで観戦すればよいと言う。しかし、私は世紀のイベントを消極的にやり過ごすのではなく、何からの形で関わり、自身の姿勢を示せないかとも思う。いつまでも過去をネガティブに引きずるのではなく、違和感を払拭することは出来ないか。その一つの解として日本の社会に一時代を築いた芸術家 岡本太郎(1911 – 1996)の「対極主義」を現在に蘇らせ、オリンピックのための記念碑を作ることを思いついた。

かつてブラウン管の中で「芸術は爆発だ」を連呼した岡本太郎は、そのキャッチーなフレーズと相俟って奇人の類という印象を浸透させた。そうして「芸術家はなんだか分からない、芸術は何をしてもよい、滅茶苦茶をやってよい」という誤解を生んだ。結果流行語としての「爆発」と、思想としての「爆発」は乖離を起こした。しかし、対立/矛盾する概念を接続し爆発を誘発するという様に思考を整頓し直せば、「爆発」の語は終戦直後に彼が唱えた「対極主義」に辿り着く。

私はこの対極主義を援用し、ネガティブなニュアンスをまとってしまった先の標語から本歌取りした「明るい未来」と、復興を謳うポジティブを志向するオリンピックを、1966年(昭和41年)に太郎が制作した「若い時計台」を舞台に対置しようと考えた。嘗て「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ6400万人を超える入場者を集めた1970年開催の大阪万博のシンボルであった丹下健三設計の大屋根がその一部を残し姿を消した一方で、それを突き破りながら聳え立った原始的なイメージの太郎制作の太陽の塔が現存していることからもその思想は今も有効であると判断した。ポジティブなオリンピックと急速な忘却の中にある福島の記憶を、都内に点在する岡本太郎のパブリックアートを舞台に対置し、反発により生じるインパクトによって新たな価値観を創造する。そこに現れるのは言うまでもなく文字通りの「明るい未来」だ。

この記念塔はオリンピック反対の態度を表明するものではない。また世間に対してシニカルを気取ったり炎上を企むものでもない。先述の通りこれはオリンピックを祝祭する記念塔であり、タイトルに「Monument」の一語を冠する所以である。
「明るい未来」の記念碑は、人々の想像力の可能性であり、また現実社会に生きる人々の希望の指標であって欲しいと願う私の祈りでもある。
20191231

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状況は今も時々刻々と変化している。9年前と同じように、既存の社会システムは機能不全に陥っている。同様に本プロジェクトも、2020年の東京オリンピックを祝祭するというコンセプトのままでは成立しなくなった。
現実の世界で私にできることはそれほど多くない。だが、来夏開催に向けて動き出したオリンピックを含む来たるべき「明るい未来」の為にも、引き続きこのプロジェクトの実現を目指そうと思う。
20200410 追記


展示後に記したステートメント

「明るい未来のためのプロジェクト」のための前置き、及びステートメント