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明るい未来の記録 2020-2021

2014
28.41 min.

Description
撮影地:日本橋、新宿、渋谷、駒沢オリンピック公園、東京駅、東京タワー、銀座、国会議事堂前
撮影:菅隆紀

【新宿、都庁での撮影について】
東京都庁都民広場で撮影すべく「明るい未来」の文字盤と撮影機材を広げていると、どこかに仕掛けられたセキュリティカメラで我々の様子を見ていたのであろう警備員が文字通り飛んできて撮影を辞めるよう言った。その理由として都民広場では政治的なパフォーマンスや三脚を使用しての撮影を許可していないからとのことだった。

一連のシリーズの撮影の行程のどこかで警備員なり警官なりに声をかけられるだろうと思いつつも、撮影を予定していた現場に到着するなり注意を受けた事実に私は多少面食らいながら、「明るい未来」の文字の掲示は政治的パフォーマンス(がメイン)ではないこと、同じ広場での三脚を使った撮影は以前にも何度か行っており、注意を受けたことは今までなかったことを伝えた。

詳細は省くが、要は広場内での政治的(に見える)パフォーマンスを排除したい様子だった。初老の男性は撮影するならこの場所以外の他所でやればよいということを繰り返し言った。そのことばの裏に、都の管理する都民広場以外の場所であれば好きなだけ都庁をバックに撮影を行うなりアピールをすればよい、という善意のヒントを感じたが、所謂「写真映え」を意識した私は庁舎が正面に見える位置での撮影に拘った。

やがて警備員の携帯電話が鳴った。会話の様子から警備室からの電話のようだった。政治的なパフォーマンスではないらしいとか、それは聞いてみないと分からないという声が聞こえた。電話を切った彼は、撮影が終わり次第速やかに立ち退くかと私に訊ねた。次の撮影も控えていた私たちにいつまでもそこに居続ける理由はなく(勿論そんなことは言わない)、10分もせず立ち去ると応えると、終わり次第立ち去るようにと再度確認するように言い残して帰って行った。

一つ反省すべき点がある。
10分程度の遣り取りの割と早い段階で、これは政治的パフォーマンスではなく「アート」表現であると言ってしまったことだ。そこには芸術論に持ち込んで相手を煙に巻こうという意図が明らかにあった。結局浅はかな考えで持ち出した「アート」の語は上滑りし(相手がそれに乗って来なかったという理由もある)、お互いの言い分は平行線のままで相手の譲歩によって撮影を行わせて貰えたのだった。

公共性をテーマにクリエイティビティを展開するのであれば、「アート」の語は極力使わず、他のことばで代替してはじめて人と話しが始められるのかもしれないと思った。無論それで答えが出せるかどうかは分からないが、専門外の人に説明するとき、「アート」の代わりに「デザイン」の語を使って説明するとよいという、随分前にある人から聞いた教えを思い出した。