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LOCKER GALLERY at TOKYO NATIONAL MUSEUM2007 Description In order to make a relative comparison between the value of Da Vinci and that of my art, I created an official website stating my exhibition that coincides with the Da Vinci exhibition, and distributed the exhibition fliers. I then installed my art work, a bundle of fake bills, in the locker in front of the “Annunciation” venue. While I was working across the security guards in the hallway, I was investigated by one of them who had received a report from a bystander. Although they asked to withdraw the work from the locker because it was beyond common sense and caused nuisance to other guests, I tried to explain to them that it was not an illegal act, I did not break any regulation in the hallway, there were still numbers of unused coin lockers, and furthermore, I was just using a coin locker as any other visitor. Nevertheless, they covered the locker with papers and an exhibition poster of the Da Vinci exhibition as soon as they realized that I would not follow their order. Some days later, I received two reports from people who had seen my exhibition flier and actually visited the museum. One report said the people with a flier asked the security guard where my art was. Although my artwork was still present in the locker at the time, they sensed somthing wrong from the displeased expression of the security guard as they presented the flier. They decided to leave immediately. The other report said that the visitor did not know my exhibition was forced to close on the first day, and went to see the coin locker without anything inside. Later, they said they went to see the locker, but instead enjoyed the Da Vinci exhibition. 本プロジェクトは、日常の延長上にある非日常=美術作品の新たな可能性を示すための実験として2007年5月に行った。プロジェクトは様々な要素を含み定まった形態を持っておらず、変化の過程をむ総体を作品として見る必要がある。実際の行動を起こすにあたり、日常空間での作品展示の在り方について小沢剛氏の「なすび画廊」を、チェーン・リアクションを引き起こすきっかけとしての事の起こし方について川俣正氏の諸作品を参照した。 2007年5月、ダ・ヴィンチ展開催中の東京国立博物館で、博物館備品の扉部が半透明アクリル板で出来たコインロッカーを使用した無許可の展示を行った。ダ・ビンチ展のメイン作品「受胎告知」展示会場入口では金属探知を使用した荷物・身体検査が行われており、その厳戒な警備体制に「ダ・ヴィンチ=公に保証された正統且つ絶対的価値」を感じた私は、その価値観を相対化させるためにダ・ヴィンチ展との同時開催と銘打った展覧会公式サイトを立ち上げ、展示フライヤーを配布して「受胎告知」展示会場前のロッカーに札束状の自作品を収めた。館内の監視員の目の前で作業を行なっていたこともあり、作品のインストール直後に監視員から連絡を受けた警備員に呼び止められ事情聴取された。彼らは一般的な常識範囲を逸脱した利用、他の来場者への迷惑等を理由にロッカーから作品の撤去を求めたが、私は違法性のないことや会場の利用規約に違反したことを行なっているわけではないこと、他の来場者のためのコインロッカーはまだかなり余裕があること、そしてなにより他の来場者と何も変わらないやり方で入場しロッカーを利用していることをひと通り説明した。話し合いは平行線を辿り、私に撤去の意思がないと知った彼らは展示物を鑑賞不能にする為にロッカー前面をコピー用紙やダビンチ展の展覧会ポスターで覆った。 作品のインストールは博物館の開館とともに会場入りして始めた。作業は30分ほどで終わり、建物の外に出てみると広い敷地内に既に2時間待ちの長蛇の列ができていた。彼らの多くはテレビや広告などのメディアによってダ・ビンチ展を知り興味を持って集まって来たのだろう。神格化されたダ・ビンチを絶対的な価値として祭り上げ、巧みな広報活動によって来場者を集めることでそれがまた新たな宣伝材料となり、まるで観客動員数が展覧会の質そのものであるかのように錯覚させるやり方で人々を煽る。観客を喜ばせる装置としてのダ・ビンチの神話は極めて有効に機能するだろうが、エンターテイメント化した展覧会場は、口当たりの良いアートを観客に提供するアミューズメントバーク以外の何者でもない。それでイベントの楽しさを演出することは可能かもしれないが、実際の会場では警備員が30秒以上立ち止まってはならないと来場者に怒鳴り続ける中で、来場者はところてんのように後ろから押されながら絵の前を通り過ぎる。それは作品を鑑賞すると言うよりも、ダ・ビンチの「受胎告知」を観たというアリバイ作りをしているようなものだった。 「都市の中」で芸術的行為を行うということは、「合法的」だろうと「違法的」であろうと結果的に「反動的(リアクショナル)なかたちでしか見えてこない」と川俣氏が述べるように、都市空間は利用者に快適さと安全を保証する代わりに「暗黙の了解」という単語を含む一般常識を強い、そこから逸れる行為を嫌う。やってはならないこと、やるべきではないことが共有され、個人の意見を公の場で発表しようものならば周囲の迷惑を顧みない行為と見做される。美術館やギャラリーといった予め用意された場所での表現行為ということであれば、興味のある人は観に行くし興味のない人ははじめから目にせずに済むということで容認される。しかしたとえばフェデラルプラザに設置されたリチャード・セラの「傾いた弧」がそうであったように、パブリックな場所というのは不特定多数の人が行き来する場所なのだから、道徳的な秩序から逸脱するようなことは歓迎されざることとして扱われる。都市空間というのは時間をかけて形成された道徳的秩序がコード化された結果なのだから、そこに居る人間の不安や違和感を喚起する表現行為は合法非合法に関わらず、基本的に受け入れ難い。この都市空間という単語を公共の文化施設と言い換えても事は同じであり、ただひとつ違うことは、暗黙の了解だとか一般常識だとかの、口に出さなくとも皆が共有しているはずの事柄を敢えて明文化した利用規約が存在するという点だろう。曰く、利用者の迷惑になるような音、煙霧を発生させてはならない、悪臭を発し、又は腐敗の恐れのある素材を使用してはならない、刃物等、人に危害を及ぼす恐れのある素材を使用してはならない、砂利、砂、土等を直接床面に置いたり、床面を汚損、毀損する恐れのある素材、動物、危険物等を使用してはならない等々… 挙げれば限がないが、それらは明らかに施設管理者に拠る権力構造を形成し、ほんらいの意味での表現の自由を排除する。 本質的に、プロジェクトという作品形態は常に制作の途中経過を見せることしかできない。作品としての完成形がいつ出来上がるかも分からず、また、アーカイブとして観るときには肝心のプロジェクトはほぼ最終段階に入っている。確かに美術館やギャラリーに並ぶ作品は完成した形として提示されるから、答えが欲しい観客としては分かりやすい。しかし改めて考えると、日常世界とは始まりも終わもない不断の連続なのだから、展示された作品とは便宜上の始まりと終わりを設定しているに過ぎない。だからIn Progressな制作方法とは、絵画作品に於ける画面の(便宜上の)外枠を時間軸に置換えたものとして捉え、その枠の中で様々な物を作ったり出来事を起こしていくものと考えることが出来る。例えば警備員の事情聴取やロッカーへの目張り(それは警備員のリアクションによって生みだされたコインロッカーの新たな形態であった)、また人数的には少ないながらも来場客からの作品への反応等、それらは私の意図を離れてプロジェクト内の振り幅として作品を形成する。 作品をスタンドアローンな存在として完結させるのではなく、それを介して複数の人や物が網目状に繋がり展開し続けるハブ(HUB)として捉える。ひとつのアクションがリアクションを引き起こし、それがまた次に繋がるリアクションの連鎖を誘発する。本プロジェクトは、展覧会としての成否を問題にするのではなく、その一連の変化の過程を含めた総体を通してアートの在り方を巡り、都市空間に於ける人々の意識、表現手段の可能性を示すものであった。 |