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私たちを取り巻く社会は、規制や因習、マナーといった約束事を重層化して形成している。約束事とは、所謂生きる知恵だったり共同体をまとめる為の制度だったりするわけだが、それらは歴史を加味しながら大きなシステムを成し、システムの破綻を招くような因子は予め排除されるように編集される。私たちはそれぞれのやり方で社会に参加し、その内側に居る限り管理と統制に拠って保証される快適さと安全のメカニズムを気にすることは少なくなる。 私の活動は、システムの成立を保証しているものを可視化することを目的にしている。システムの安定を図る際に排除されたものを露呈させるため、重層化された社会のレイヤーを再編集する。管理と制御のルールから逸脱した存在はバグのようにシステム内に違和を生じさせる。私の実践は、逸脱に拠って成立し得る創造的行為の可能性を問うための実験である。 |
私の活動は公共の場に於ける表現の在り方をテーマにしている。 その、制度化された公共性に介入し、そこに於いて成し得る創造的行為の可能性を問う。作られた制度のシンタックスを組み替えることで公共の場にバグのように違和感を生じさせ、制度化された公共性を問い直す契機と成る。 |
作品を、スタンドアローンな存在として完結させるのではなく、それを介して複数の人や物が網目状に繋がるハブ(HUB)として捉える。ハブは既存の社会の中にインストールすることでその姿を様々に変える。自らを取り囲む世界を計測可能な尺度に押し込めることで成長してきた現代社会に於いて、それはバグのように日常空間に違和を生じさせる。また、既存の素材を使用し、その場限りの体験を促す。素材は一定期間集められ、プロジェクトが終われば元の場所に戻したり、場合によっては次のプロジェクトのために転用する。いちど完成した作品の一部として提示した素材だったとしても、再構築の後には別の意味を持つものとして使う。作品は解体と構築を繰り返し、新陳代謝のネットワークを形成する。プロジェクトは様々な出来事が起こるために少しづつその姿を変える。そしてそれは予測不可能な何かをあぶり出す契機となる。 西洋科学の基本的な発想は、あらゆるものごとを「はかり」にかけて計量し数値化し、世の中を見通しよくすることにある。世界の全てを数値化出来るものとして扱い、「はか」ることでより効率的に身の回りを便利にすることを目指してきた。計測の蓄積の結果として我々の現在の日常があり、世界は以前に比べてずっと理解しやすく身近になったといえる。しかし全てを「はか」ることが出来るのであれば、トマス・モアの描くユートピアの様に世界は自ら殻の内側に閉じこもり、最早今後の発展の必要はなくなる。 |
社会とは、文化や制度や国家などの複数の要素によって規定される仕組みに適応することで成り立つ複合的な枠組みである。私にとって作品とはその枠組みの中の様々な要素を重層的なレイヤーとして捉え、そのレイヤーの組み合わせを替えたり新しいレイヤーを付け加えたりする行為だと考えている。枠組みはその内部にいるときには決して意識されることはなく、その周縁に立つことによってはじめてそれと意識される。私の作品はその周縁に立ち、枠組みに対して新しいルールを提示する。新しいルールは既存のそれを相対化し、その意味を問い直す契機となる。 |
不換制度のみを考える場合、制作者の有名性とか完成に至る迄の手間等といった事柄とは無関係にそこに記された数字がその時々の力持つ者たちの物理的裏付けなど何もない「信用」の一言によって保証されることで、曖昧さの入り込む余地のない価値の交換の中にそうとは意識しないうちに我々を閉じ込める。 |
私は「作品」というものを、最大公約的な普段の生活の場とは少しだけずれた視点を提示することで、異質な現実世界を浮かび上がらせるための虚構の装置と位置づけています。 |